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第二章:新しいことへの挑戦 ~「変わり者」と言われても~
第二章:新しいことへの挑戦 ~「変わり者」と言われても~
精一が自分で作った梅の加工・販売事業を立ち上げたのは26歳の時である。家族を支えるためにも毎月安定した収入を得たいと考え、姉や弟の助けを借りながらのスタートであった。
精一は梅作り、梅干作りに取り組みながら「こうしたらもっといい梅ができるのでは?」「こうしたら効率的に作業がすすむのでは?」という好奇心を胸に次々と新しい試みを実行していった。
例えば収穫の際には、漁師から分けてもらった網を畑に敷いてみた。これは、木で完熟させて自然落下した梅が、地面に直接落ちて傷付いてしまうのを見て、どうにかできないものかと考えた末に生まれたアイデアだった。
結果的には、網がクッションとなり梅に付く傷が激減。更に梅の実を拾う作業も、以前は雑草が邪魔をして手間がかかっていたのが改善され、作業効率がグンと上がった。これまで10人でやっていた収穫の作業が4・5人でできるようになったのである。
また、ハウス内での天日干しも精一のひらめきである。ハウスの中で野菜を作っているのを見てピンと来た精一は、梅の天日干しもハウスの中でできないものか?と考えたのである。ハウスなら天候を気にすることなく、山の中でも3~10月の間は夏と同じような気温に保てる。さらに、干した梅を夕方に倉庫に入れ、翌朝、倉庫から出して再び並べる手間も省け、作業の合理化につながる。
しかし始めてはみたものの「岡畑の梅はハウスで干してるからアカン」と散々叩かれる毎日。時にくじけそうになりながらも精一は思った。「こういった言葉に負けたら何も新しいことができない。改革ができない!」
逆風の中、不屈の精神で自分のやり方をやり通した精一は、当時の厳しい状況を振り返る。「新しいことをすればまずは否定される。それでも私は自分のやり方を貫き、今日までやってきました。たとえ『変わり者』と言われ続けても、自分の信じたやり方を変えませんでした。きっといつかみんなも私の考えを理解してくれる。それを信じてやるしかないと頑張りました」
現在では、網を使った収穫も、ハウス内での天日干しも「当たり前のこと」として梅農家に広まっている。変わり者からパイオニアへ。それは岡畑自身が認められた瞬間でもあった。
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