心づくし、梅づくし。本紀州手造り高級梅干

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第四章:低塩梅干の開発に成功 ~自分が食べて美味しいと思うものを~

第四章:低塩梅干の開発に成功 ~自分が食べて美味しいと思うものを~

健康ブームのさなか、今では当たり前となっている低塩梅干だが、当時は塩辛く酸っぱいものが主流。精一も伝統的な白干し(漬け込み干したままの梅干)と、しそ漬け梅干を作っていたが売れ行きは今ひとつだった。

そんな時転機になったのが、ある問屋からの一言だった。「どうせ売れないのだったら、低塩梅干を一回作ってみたら」。この言葉をきっかけに本格的に低塩梅干作りに取り組み始めた精一だったが、大きな壁にぶち当たる。

本来梅干は塩分により品質が保たれてカビも生えない。しかし塩分を抑えると、最も大切な品質管理の面でどうしても問題が起きてしまう。「一体どうしたらいいんだ」と頭を抱え、眠れぬ日々が続く。

そんなある日、偶然ある大手食品メーカーの人と知り合う機会があった。精一が低塩梅干作りの悩みや疑問点をぶつけてみたところ、その会社の研究員が泊まりこみで指導に来てくれることに。この日から、研究員との二人三脚の日々が始まった。

不眠不休で試行錯誤を繰り返し、品質管理や調味液の配合などを研究。そして遂に塩分20%前後の梅干が当たり前の時代に、低塩梅干「うまい梅」(昭和53年当時は塩分8%)が完成、そして昭和58年に「うまい梅」よりさらに低塩の「幻の梅」(塩分5%)の開発にも成功したのである。

今や岡畑農園の2大看板に成長した「うまい梅」と「幻の梅」だが、販売当初はなかなか相手にされなかった。「塩分15%以下のものは梅干じゃない」と同業他社にも叩かれる有様だった。

しかしこの頃から健康ブームの追い風が吹いてくる。低塩梅干は徐々に多くの女性や健康志向の人々から支持を受けるようになり、関東地方を中心にどんどん売れるようになっていった。そこには「自分が食べて美味しいと思うものを作りたい」「安全で安心して食べられるものを提供したい」という精一の熱い思いが凝縮されているのであった。


岡畑農園の沿革を見る



昭和58年に誕生した「幻の梅」。
梅干のイメージを変える画期的商品だった。
精一自ら各地の展示即売会場に出向き、
セールスの陣頭指揮を務めた。


昔の作業風景。柔らかな梅干の取り扱いは、
今も変わらず手作業で行う。